恋愛の悩み、非モテ男でも恋はできる!

貴方は一般的に“モテる”人間でしょうか? 残念ながら私は違います。自分が「あ、ボクってモテないんだ」と気付いたのは小学生の時でした。あの頃のモテる条件としてはまず「顔(ルックス)が格好良い」、次に「スポーツが得意」でした。私にはそのどちらも無かったのです。校舎の裏で蟻の巣をほじくり返したり、図書室でブラック・ジャックを読んでいたりする子供だったのです。バレンタインデーに女の子たちがこっそりかばんに忍ばせてきたチョコレートを、モテる男の子たちがさも面倒くさそうに(その当時は女の子と仲良くするなんてダサい、みたいな風潮があったのです)受け取るのを歯を食いしばりながら覗き見ていたものです。

中学、高校、大学、社会人と、年齢が上がるとともにモテる条件は変化していき、「スポーツが得意」なことは「話が面白い」ことや「服装がオシャレ」なことへと変わっていきました。しかし、いくら歳をとっても絶対に変わらない条件は「顔が格好良い」ことです。

モテる条件は色々ありますが、「顔が格好良い」ことだけは(莫大な金額を払って整形手術でもしない限り)どうしようもないものです。生まれ持ってこなかったのですから。だから私は、それ以外の条件を達成しようと努力しました。

私が社会人一年目の時の話です。「持たざる者」だった私はそれまで彼女はおろか、女の子とデートをしたことすらありませんでした。高校デビューに失敗し、大学で再起を図るも、結局上手く行かず、こんな歳になってしまったのです。その当時私には片思いをしている相手がいました。その人は同じ職場の一つ上の先輩でした。

若い人が少ない職場でしたので、若手たちで集まって飲みに行ったり、食事に行ったりすることも多くありました。彼女の誰にでも優しく、気遣いに長けたその人柄に触れ、次第に私は惹かれていきました。それまでに多くの(一方的な)失恋を経験していましたが、「この人だけは絶対に諦めたくない」私はそう感じていました。

フラれ、連絡先を消され、陰口を叩かれ、苦悩と失敗の日々の中で私は学びました。雑誌のモデルが着ている奇抜な服装をそのまま着るのではなく、飽くまで参考程度にとどめ何より清潔感を大事にすること。自分が一方的に話すのではなく相手の話を聞き出し、聞き上手を目指すこと。文字にするとどこにでも書いてあるようなチープな事柄ですが、私はそれらの“理想”に自らの失敗を通じて少しずつ近付いていったのです。社会人になる頃には女性相手にも冗談を言い合ったり、軽いスキンシップを交わしたりすることもでき、大学から遠く離れた土地で就職した私が「彼女いない歴=年齢」だと知っているものはもはやいなかったのです。私には根拠の無い自信がありました。「これだけ恋愛を失敗してきた私だが、だからこそ何が“ダメ”だったかよく理解している。今度こそ絶対に上手くいく」と。

実際、最初は本当に上手くいったのです。飲み会を繰り返すうちに会話の機会も増え、そのうちに連絡先も手に入れました。仕事の後や休日に、頻繁になり過ぎないよう気をつけながらメールのやり取りをし、遂に食事の約束を取り付けました。私にとって初めてのデートでした。食事の時も会話が弾み、次の約束も取り付けました。そうして私たちはしばしば食事や買物に出かけるようになりました。

ここまでくればあとは王手だ。私はそう感じていました。焦ってはいけないと自分に言い聞かせ、「ここぞ」というタイミングで告白しました。しかし、結果は「ノー」だったのです。

一緒にいると楽しいと言ってくれました。彼女の様々な悩みについても相談に乗りました。しかし、答えは「ごめんなさい」でした。見苦しくも私は尋ねました。「なぜなのか」と。答えはこうです。「あなたのことは好きだけど、そういう“好き”じゃないの」好きにも色々ある、そんなありふれた言葉を私はその時改めて気付かされたのです。私にとってそれは再発見でした。

今では私も妻子を持つ身です。しかし、過去のそういった経験があるからこそ今があるのだと感じています。恋愛において邪魔なものなど全く無く、真っ直ぐ道を突き進める人、確かに存在します。けれど、曲がりくねっていたり、岩で塞がれていたり、そもそも道が無いという人もいるでしょう。あなたがもし「持たざる者」であっても、決して諦めないでほしい、私はそう思います。苦悩と失敗を経た先に、きっと光はあるはずです。私はそう信じています。

片思いの恋愛が得意な占い師をご紹介

ほたる先生
ほたる先生

乃杏先生
乃杏先生